イチモンジセセリ その1

動物編

幼い頃から秋口になると茶色のジェット機の翅のような形をしたイチモンジセセリをよく見かけた。このチョウを見ると秋が来たんだなぁと思うようになっていた。

 小学生になるとこのチョウは渡りをするチョウで、中国大陸から風に乗って大群で渡ってくると思い込むようになっていた。なのでこのチョウは異国の情景と繋がっていて、身近に見かけるチョウとは感じ方が違っていた。昔は庄内川の堤防や叢ではしょっちゅう見かけていたが、最近はそれ程多くのイチモンジセセリを見かけることはない気がしている。

 中学校の英語教師をしていた弟が最近になって「私の備忘録」という本を出版した。教師生活でやってきたことや考えたことの他に、小さい頃から好きだった映画の評論や読書感想や意見等を纏めたもので、A五版で三〇〇ページにのぼる大作である。その本の中に安西冬衛の「春」と題する有名な詩について考えたことが記されていた。

「てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った」という詩であり、誰もがどこかで聞いたことがあるのではなかろうか。その本の中の「私の『詩』体験」の項目でこの詩についての考えが述べられている。「『てふてふ』は旧仮名遣いで、『ちょうちょう(チョウ々』、韃靼海峡はシベリアと樺太(サハリン)の間の『間宮海峡(世界地図で日本人名が付けられている唯一のもの)』のことである。『てふてふ』を『ちょうちょ』、『韃靼海峡』を『間宮海峡』と置き換えて、『ちょうちょうが一匹間宮海峡を渡って行った』とすると詩にはならない。ここでは『てふてふ』『韃靼海峡』だからイメージは広がる詩になっている。『てふてふ』というと音声的にもそのチョウの可憐な動きさえもイメージ出来るし、韃靼海峡という漢字を当てることによって勇猛、荒々しさがイメージできて、この2つの言葉の対比が妙を得て新鮮なのである。ほんの一行なのに、空間と時間(歴史)とがとても意識に残る一遍だと思う。」と。

ところでこの作品が作られた時代や、その地理的条件を客観的に捉えた上で考えることも一つの方法だろう。シベリアやその対岸にある樺太までは、一〇〇~一五〇キロ位離れている。しかもここは偏西風が吹いている。赤道以北は大体北緯三〇度までが貿易風で東から西への風が吹き、三〇度から六〇度までは偏西風で西から東に吹いている。またその上の六〇度から九〇度までは東から西に風が吹いている。飛行機でも帆船でもこうした大きな風の流れを利用して飛行や航海をしてきたのである。そうすると韃靼海峡をチョウが一匹越えて行こうとする時、樺太からシベリア大陸に飛んでいくのか、それともシベリア大陸から樺太に飛んでいくのか。飛翔力がないチョウなら風に乗れるシベリアから樺太でなければならない。安西はシベリアにいて病臥していたと言われているから、彼が見たチョウはシベリアだった筈なのである。

海を渡るチョウがいることは知られている。よく知られているのはアサギマダラだが、秋になると名古屋近辺でキク科フジバカマ属のフジバカマやヒヨドリバナの蜜を吸い、その後紀伊半島を経由して、鹿児島や沖縄の島々まで二〇〇〇キロも移動するという。私は小さい時からイチモンジセセリというチョウが海を渡って日本に来ると思い込んでいたが、一匹のチョウが南から北へ移動するということではなく、産卵し羽化しながらその幼虫が成虫になって北に移動していくらしい。北海道まで行くこともあるようだが、そこでの繁殖は見られないとのことである。

そこでシベリアからカラフトまで海を渡るチョウがいるのかである。インターネットでニックネームmustachio(口ひげ 七四歳)の「古稀からのネーチャーフォトライフ」を見るとモンゴルの動植物が公開されている。その中にカラフトタカネキマダラセセリの写真が載っていた。このチョウはセセリチョウの仲間だが、北海道の東部や高山に限定的に生息している。北海道ではそこで越冬、産卵や羽化等の循環がなされている。羽化して成虫になるのは六~七月頃である。春としては晩春といえる時期である。

ところで安西の詩「てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った」のチョウが「渡って行った」というのは、「飛んでいった」とか「舞い上がって行った」とかいう事実の描写ではなく、チョウが意思をもって飛んでいくことを予想させる。その表現からすると、宿命のようなものがあって渡っていくのであるまいか。即ち渡りをするチョウではないかと推測する。だからモンシロチョウのような羽が大きく、ふわふわしたチョウが偶然に風に乗って飛んでいくようには思われない。

イチモンジセセリのように、セセリチョウの中にはこうした渡る習性と姿(細長いジョット機のような羽を持った)が生得的に組み込まれている可能性があるように思えてならない。北海道のカラフトタカネキマダラセセリは、シベリアから渡ってきたこのチョウが、定住したとも考えられるのではないかと思う。       (以下は、カラフトタカネキマダラセセリと似ているキマダラセセリ?)

しかしこのチョウが日本列島が大陸と陸続きだった三〇〇〇万年前に既に存在して、日本列島と大陸が分離しても分かれたまま現在まで進化してきたとしたら、環境適応の結果として相違が現れてくる筈だと思うがどうなっているのだろう。そんな渡りを考えてみると、この詩はそれなりの意味合いを含んでいるのではないかと思う。つまり、渡るべきして渡っていくチョウに対して、帰るべき故郷に帰れない我が身を嘆く安西がいると捉えることも可能だろう。この思いはチョウの渡る必然性に対する憧れと同時に安西の挫折感をも含んだ感情があると想像できる。

ただ単にこの詩を見ての詩情に訴えれば、このチョウが羽をひらひらしながら風に舞って乗っていく方が、イメージとしては美しいようには思う。しかし事実に即して詩を見つめると、安西の心の奥にある内面を推測する手がかりを得ることができるのではなかろうか。

イチモンジセセリの渡りについて、チョウが海を渡って来るかどうかは今の私には分からない。でも日本にいるイチモンジセセリは産卵と孵化して成虫になるのを繰り返しながら、徐々に北進していく。その産卵先はイネ科やカヤツリグサ科の単子葉植物であり、その幼虫はイネの害虫となっている。夏場はイネを中心に食べているらしい。他のチョウのように蛹で冬眠する休眠期間はないので、幼虫は冬でも暖かい日には餌を取る。夏場は水田のイネを対象にして食べているが、冬場はチガヤなどの野原にある単子葉植物を餌としている。

この幼虫が食べる対象が季節によって異なるので、成虫は冬になると幼虫の餌がある地方に飛んでいく。それまで夏場は北進していたイチモンジセセリが、こうした餌である植物がある南西方向に移動するのである。食性に引きずられて移動するのはクジラ等でも同じだから合点がいく。因みにその移動するイチモンジセセリは、羽化して成虫になったイチモンジセセリで羽の破損はないチョウだという。その移動距離は一〇〇キロ程だという。

渡りをするチョウというと、アサギマダラのように二〇〇〇キロも南下していくチョウを思い浮かべる。イチモンジセセリもそうした行動習性があるのかと思っていたが、食性に規定されて移動する渡りらしい。三河湾の海上を多数のイチモンジセセリが移動するのを見た人もいる。一〇〇キロはチョウにとっては相当な距離だとは思うが、海を越えて他の国にまで行く程ではないとすれば、「渡り」というよりは「移動」と言った方が良いかもしれない。少し調べてみたいところである。(チョウ目 セセリチョウ科 イチモンジセセリ属 イチモンジセセリ)

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