アキアカネ

動物編

アカトンボには何種類もいるが、山形に較べて蟹江周辺ではその種類はそれほど多くない。同定できるアカトンボは、ナツアカネ、アキアカネ、コノシメトンボ、ノシメトンボ位である。でも種類の特徴とその違いを区別するのは難しいと感じている。

 ウスバキトンボやショウジョウトンボも赤いトンボでトンボ科なのに、アキアカネのようなアカトンボ(アカネ属)の仲間と区別されている。「トンボの不思議」(新井裕 どうぶつ社)によると、「トンボの羽は二対四枚ある。羽には縦横に多数の脈(翅脈)が走っている。一見でたらめのように見える脈だが、脈の配列は一定の決まりがあり、トンボのグループ分けの重要なポイントとなっている。この脈は障子のさんのように、薄く破れやすい羽を保護する役目を持っているのだろう。前縁(上の方)の脈は太く頑丈なのに対し、後縁の脈(下の方)は細く密になっている。羽は平らなように思うが、よく見ると脈に沿って、でこぼこになっていることが分かる。」と記されており、図解されている図では、前縁の胸の付け根からの脈数が十本以上の仲間がシオカラトンボ、ショウジョウトンボで、前縁の脈数が九本未満なのがアキアカネやコフキトンボとなっている。またウスバキトンボは脈数が十本以上でショウジョウトンボと同じだが、後羽が内側に膨らんでいるところが異なっている。前縁の脈数で考えると、ショウジョウトンボ、ウスバキトンボとアキアカネはその数に違いがあるということなのだ。

 我々は体色が赤いか赤くないかで、アカトンボかどうかを判断しているのに、専門家の区別はそうした前縁の脈数によっているらしい。ナツアカネやアキアカネも、ショウジョウトンボも羽化した時は薄い麦わら色であり、成熟してくるとオスは赤化してくる。時間の経過と共に色の変化が生じるから、赤いかどうかでアカトンボかどうかを決めることは便宜的なものに過ぎないともいえる。さすがに専門家は違うと感心してしまった。

 アキアカネは六月頃に里で羽化してその後山地に移動して夏を過ごし、秋になって里に下りて来るという。六月頃に羽化した時は黄色い色をしている。十月中頃から見かけるアキアカネの数はかなりの数だから、六月に羽化したアキアカネの数も半端ではない筈だが、そんな黄色いトンボを見た記憶は全くない。見ていたのだが見過ごしていたのだろうか。というより、いる筈がないと思い込んでいて見えなかったのかも知れない。このことは、学生たちに「タンポポは何色か」と尋ねると、殆どの学生が「黄色!」と応える。「白い(クリーム色をした)タンポポがあるんだ。」と話すと吃驚する。タンポポは黄色だと思い込んでいるので、白いタンポポがあっても見えないのである。それと同様なことがアキアカネでもあるのかも知れない。

 アキアカネが六月頃に羽化すると知って、見かけないかと気をつけるようになった。弥富市「海南こどもの国」の池に、カワセミの写真を撮りに出かけた。これまで池に張り出した木の枝に止まっているのを何度か見かけていたからだった。池の端の叢を掻き分けながら歩いて行くと、脇の灌木(かんぼく)の枝に黄色いトンボが止まっていた。少し弱々しい感じでシオカラトンボに較べると小さく、すぐにアキアカネだと思って写真を撮った。羽化するといわれる時期に初めて見かけたのだった。そんな経験は一度だけで、その後は全く見かけていない。

 永和駅の北側の沼や田んぼが稲穂を垂れる頃の十月初旬を過ぎると、どこからともなくアキアカネ、ナツアカネ、コノシメトンボ、ノシメトンボがやってきて農道や畦(あぜ)脇の灌木の小枝やアメリカセンダングサの折れた茎の先などに止まるようになる。それ以前には全く見かけない。それまではシオカラトンボやコシアキトンボなどが飛び回っているが、その頃になると一時的にこれらの種が重なりながら、少しずつ種類の入れ替わりが起こって、いつしかアカトンボの仲間だけになってしまう。とても不思議に思える。植物の時間的な棲み分け同様に、季節の変化でトンボたちの種類も変化していく。近くの池や用水路を見ても、これらのアカトンボの羽化したヤゴの抜け殻は見たことがない。これらの場所で直前に羽化したとはとても思えない。先人たちも、秋のある季節に自然発生的に現れるアキアカネのこうした現象を見ていて、どこからやってきたのか不思議に思ったに違いない。

 七月から八月にかけて、三重県の多度神社の裏にある多度峡に、カワトンボの写真を撮りに出かけた。蟹江中学の先生だったSさんからカワトンボがいると聞いていたからである。カワトンボ以外にオナガサナエ(?)というサナエトンボの写真も撮ることができた。この多度峡は夏には川を堰き止めて川のプールが作られる。夏には親子連れが浮き輪などを持って泳ぎに来る。そんな谷川に沿った山道を歩いて行くうちに、アカトンボを何匹か見つけた。といっても里で見る赤いアカトンボとは違ってやはり黄色だった。それを見てアキアカネが山沿いでやっぱり生活しているのだと思った。そういえば、初夏に山形の高瀬地区の山に入った時にも、山中で沢山のアカトンボを見たことを思い出した。蟹江周辺では、養老山地がこうしたアキアカネが夏を過ごす場所なのかもしれない。因みに多度山の標高は四〇三メートルである。

 秋になって永和駅北側の田んぼでアキアカネの写真を何枚も撮ったが、産卵場面は見たことはなかった。蟹江に戻ってトンボの写真を撮りに行くようになって、彼らの生活の仕方を知るようになってきていたものの、産卵場面は見かけていなかった。これほどの数のアキアカネがいるのだから、どこかで連結産卵しているに違いないと思いながらも、いつか見ることができるのではないかと微かな期待を持っていた。

 四年前の十一月初旬に天童を訪ねた。滞在した一週間のうち、夕方からは同僚だった友人や卒業生たちとの会食や懇親会などの予定が入っていて、連日楽しい時間を過ごした。昼間は時間があったので、野鳥やトンボの写真撮りをした。というよりも、写真撮りも天童来訪の大きな目的の一つだった。

東北では晩秋の季節だが、それでもアキアカネが見られた。天童駅近くのビジネスホテルに泊まって朝食を食べると、奥羽本線の天童駅の西側の天童スポーツセンター付近の小関から成生方面まで足を伸ばして、刈り入れ後の田んぼの周辺を歩き回った。最初の予定では、成生の薬師神社のケヤキの大木の洞にいるチョウゲンボウの写真が撮れないかと思って出かけたが、肝心のチョウゲンボウの写真は撮れなかった。成生から天童駅への帰り道で、田んぼの中の水溜まりに沢山の連結態になったアキアカネが産卵しているのを見かけた。それまでアキアカネが連結態になって飛翔しているのを見かけたことはあったが、産卵している場面を見るのは初めてだった。三日間ほど続けて出かけていくうちに、アキアカネの産卵についていくつかのことが分かってきた。

その一つ目として、産卵は天候、気温や時間帯に左右されているのではないかということである。天候が好天の日には連結態が水溜まりを飛び回って産卵しているが、曇り空や気温が低い時は余り見かけない。また午前中の十時頃から午後一時頃までは、連結態が田んぼの中の水溜まりを移動しながら打水か打泥産卵している数が多い。このように、天候や気温や時間帯に左右されているらしい。確かに十一月ともなれば、曇り空や午後二時を過ぎれば気温は下がって来るので、気温が大きな規定条件かも知れない。

二つ目として、田んぼのまわりにはコンクリート製の用水路がいくつもあり、水も少なく浅瀬の状況になっている。もしアキアカネが産卵するなら、打水産卵するのに最適な場所と考えられるのに、殆ど用水路で産卵している光景は見たことがない。それよりは刈取りの終わった田んぼのコンバインが作った水溜りに、連結態のアキアカネがやってきて産卵していた。水面に打水産卵しているカップルもあるが、その水溜りの縁の泥に打泥産卵しているカップルもある。その中にはメスの尻尾がなかなか泥から抜けなくなって、あたふたしている様子のカップルも見られた。どうも田んぼの水溜まりでかつ泥がある場所が産卵する条件になっているらしい。このことは、アカトンボは稲作と関係があって、田んぼの地面が干上がっていても、地中が湿っている泥の中で卵が越年し、田植えのために水が引かれるとヤゴになって、六月に羽化するという稲作の循環と深く関わっている。それにしても産卵場所の好みというのか、選定の仕方というのか、きっと生得的にプログラムされているのではなかろうか。

三つ目として、連結態になって打水産卵しているペアは、ある程度の産卵を終えると、空中で交尾態になって、近くの草叢の葉や枝に降り立ち、そのままじっとしている。しばらくするとまた飛び立って連結態になり産卵し始める。こうした現象を見ていると、メスに精子を移送して卵子を受精させる量が足りなくなったので、移送を再度行うために交尾態になって止まったのではないかと思われる。その位、産卵行動が頻繁に行われているのである。

産卵の写真を撮っていて面白かったことは、産卵のために連結態になるのは、オスとメスである。一般的にはオスが前でメスが後ろになって産卵行動をする。連結態の中に三連の連結態になっているものを二回見かけた。その三連の連結態の写真を撮れなかったことがとても残念だった。多分オスとメスの連結態の前に、オスが連結するのではないかと思う。

「日本のトンボ」(尾園暁 川島逸郎 二橋亮 文一総合出版)には、アカトンボだけでなく他の種類でも三連の連結態が起こること、そして上述の順序の場合だけでないケースもあることが記されていた。

翌年の十月の下旬になって、関西線の永和駅北側の沼の水が溢れて田んぼ跡に水溜りができているところで、好天の日の午前十一時頃に初めてアキアカネが産卵している場面を見かけた。こんなことは数年間も頻繁に出かけていて初めての経験だった。それまではアキアカネが木の小枝やアメリカセンダングサの枝先などに止まって、追いつ追われつしているのを見ているだけだった。連結態になっているのを見ることは殆どなかったのに、その時は連結態のアキアカネが産卵していた。それも一ペアだけでなく、三~四ペアがその水溜りの周りを飛翔しながら産卵していた。私のカメラの操作技術では、これらの産卵の様子を綺麗に撮ることは覚束なかったが、それでもできるだけ粘って撮り続けた。その写真の殆どはぼやけてしてしまっていたが、中にはそれでも何とか見られるものがあった。

天童同様に、あるペアは産卵してから交尾態になって、その脇に生えている枯れたヨシの茎に止まっていた。じっとしていたが、そのうちに飛び立って、また沼の周りを飛翔し始めた。これ程の数のアキアカネが止まっているのだから、どこかで産卵している筈だと思っていたが、やはりこの沼の周りの水溜まりで産卵していたのだった。面白いことに、その水溜りの周りの湿っている泥に直接産卵しているアキアカネのペアもいた。そんな産卵の条件を考えると、打水産卵ばかりでなく、打泥産卵では水際ではなく直接湿った泥に産卵する可能性もあることが分かった。こうした産卵の仕方は、生得的なものでありながら、具体的な環境条件の中での応用範囲としてバラエティがあることを示している。生得的というとすぐにリジットなものと考え易いが、アキアカネの産卵行動を見ると、随分幅のある適応可能性も含んだものだなあと感心してしまったのである。

(トンボ科 アカネ属)

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