竹の中で大きくて存在感があるのはやはり孟宗竹だろう。高校時代に出かけた修学旅行で嵯峨野の孟宗竹の竹林を見た記憶がある。その竹林のある風情は、日本の原風景の一部として日本人には懐かしく感じられる。時代劇でこうした竹林での決闘場面が多く見られるのは、こうした日本人の原風景に根差した日本人の精神とも関連する場面設定で、決闘を演出する意味も含まれているのではないか。しかし孟宗竹は遠い昔、中国から移植されたものだとも聞いているのだが。
孟宗竹(モウソウチク)
昔から人々は暮らしの中で竹を使って日用品を作ってきた。私が勤める短大近くには竹屋があって、色々な種類の竹で色々な製品を作っている。現代のように効率性と安価性が優先される時代にこうした籠や日用品を作って販売して店が存続できているのを見ると、ただただ感心せざるを得ない。
私には元来放浪癖があるので目的地を決めないで、車でぶらぶらと天童周辺を徘徊したり月山の方までドライブすることがある。そうすると必ずといって良いほど初めて出会う植物があり、それをすぐに写真に撮っている。東北の農村地帯の風景で竹林の傍には農家などがあることを何度も経験してきた。そこで、私は「竹林(孟宗竹)があれば、近くに家がある」という規則(法則)を作って、意識的に竹林と農家を見るようにしてきた。当然ながら、その逆は必ずしも真ではなく「家があれば、竹林(孟宗竹)がある」というわけではないのだが。
昔仙台の人間開発センターのバウハウスで、竹を使って小学生に竹トンボを作らせようとした。まず竹の芯にはどれが良いかいろいろ検討した。焼き鳥用の竹串が良いか、日差しを避ける簾(すだれ)の竹ひごが良いかなどを検討して、結果的には海苔巻きを巻く寿司用の簾(すだれ)が良いことなどが分かった。今度は竹トンボのハネの部分だが、乾いた竹を使うと固くて大人でさえ削ることができない。ましてや小学生ではとても無理だということが分かった。子どもたちに作らせるには、その竹が子どもたちの力で削って加工できるものでなければならない。そう考えるとその年の春に芽が出て、ふにゃふにゃでなく加工するのにある固さが要求される条件を満たす竹が必要となる。そこで秋口になった孟宗竹を使えば、子供でも加工できるのではないかと考えた。私の周りに竹林を持つ知り合いはその時はいなかった。上述のように「竹林(孟宗竹)があれば、家がある」という規則によれば、どこかの孟宗竹を切り出せば、人の家の竹を盗むということになってしまう。そこで、どこかにそうした規則性から外れている孟宗竹がないかと考えているとき、知り合いが丸森から福島県の梁川に向かう阿武隈川沿いの349号線沿いの横道に入ったところに廃屋があり、その脇に孟宗竹が生えていると教えてくれた。そこで私は、鋸や小刀などを持ってそこまで行ってみた。話の通りに廃屋はあったが随分時間が経っていて管理されていないことから、生えている孟宗竹は数本だけだった。それを四苦八苦して切り出し道路まで引っ張ってきて自動車に入るように切断して、適当の長さにして仙台まで運んだのだ。
メダケかな?
バウハウスは日曜日にやっていたので、数日間は室内に置いておかなければならない。そうすると竹は乾燥して固くなってしまう。どうしたら良いか色々と考えてポリエチレンに少し水を入れて、冷蔵庫に入れておいたのである。日曜日にバウハウスで小学生に竹トンボを小刀を使って削らせたら、子供たちは割と簡単に思い通りの形に削ってそれぞれの竹トンボを作ることができた。
竹については大学図書館の司書室で、高橋明子さんから面白い話を聞いた。竹がどんどん伸びるのは、竹の節の数は決まっていてその生長するのが普通の植物のように先端部だけが伸びて生長するのではなく、一つ一つの節に生長点があってそれが日々生長するので、竹が早く伸びるのだと聞かされた。例えば雨後の筍というのも、そうした竹の習性からきた諺(ことわざ)だろう。まだ私自身がこのことを確かめておらず、近々確かめてみたいと考えている。
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