ウスバサイシンといえば、すぐにヒメギフチョウを想い出す。私の中ではこの両者は対連合されている。天童にいた頃は毎年四月の末から五月の連休頃、東根の白水川ダム周辺の山にヒメギフチョウを探しに行ったものである。何か所かの定点観測地の一つ、東郷林道奥の丘になっているカタクリが群生している場所には、ヒメギフチョウが飛んできてカタクリの吸蜜している光景を何度も見かけた。殆ど人が入らない場所で、私だけがこの光景を独り占めしていたことになる。そんな経験の中で気づいたことの一つに、ヒメギフチョウはカタクリの花にとまる時、翅を広げてとまるのだ。他のチョウでは必ず翅を開く行動は見られないので、なぜか印象深く頭に残っている。
●ウスバサイシンと花



蟹江に戻って、ヒメギフチョウではなくギフチョウが岐阜県に棲息していると知って、群生するカタクリで吸蜜しているギフチョウの光景を見たくて探しに行ったものの、見かけることはできなかった。その前に岐阜公園にある名和昆虫博物館で、サクラの花とカンアオイの鉢が置かれた水槽のギフチョウを観察しただけだった。いつかカタクリの花の吸蜜をしている野生のギフチョウの吸蜜場面に出会えたらと心待ちにしているのである。
「春の女神」と呼ばれるギフチョウとヒメギフチョウは、アゲハチョウ科ギフチョウ属に属しているが、明治十六年に名和靖がギフチョウを発見してから、その後ヒメギフチョウが見つかったといわれている。しかしヒメギフチョウはユーラシア大陸の東部も含めて広く棲息していて、ヨーロッパではヒメギフチョウの方が先に知られていたのである。
●ギフチョウ

このギフチョウとヒメギフチョウの日本での棲息分布は綺麗に分かれている。その境界線をルードルフィアライン(ギフチョウ線)と呼んでいる。山形県はその線上なので、ギフチョウとヒメギフチョウが混在している可能性がある。しかし天童在住の時には、ギフチョウは見かけていない。
●カンアオイ



ギフチョウとヒメギフチョウの棲息域を分けているものは何か、それは幼虫が食べる食草が違っているからだと思われる。ギフチョウはカンアオイ、ヒメギフチョウはウスバサイシンである。どちらもウマノスズクサ科カンアオイ属に属していて似ている。そんな食べ物になる食草の分布域に規定されてこの両者のチョウの棲息域が異なっていると考えられる。山形県の境界線上では、ギフチョウの幼虫がウスバサイシンの葉を食べていた報告を見かけたことがある。好きでなくても生きるために食べている可能性があるのだ。
ヒメギフチョウが天童周辺に棲息しているなら、きっと幼虫の食草のウスバサイシンが生えているに違いないと思って、山や丘を歩き回って探したものの、なかなかそれらしい植物には当初は出会わなかった。
●ヒメギフチョウがカタクリの蜜を吸う



二年ほど経ってその機会は偶然に訪れた。アパートから車で七~八分位の所にある、崖の北斜面のうす暗い雑木林の下で見かけた。その時カタクリやクロモジなどの写真を撮ろうと、雑木林の中を歩き回っていた時だった。偶然ハート型の葉の植物が地面に生えているのを見かけたのである。直感的にウスバサイシンだと思った。その時はその葉だけに気をとられて、花が咲いているかどうかを確認しなかった。家に帰ってパソコンに取り込んでみると、地面の上に黒茶色の花らしいものを見かけたのである。
その後何度もその写真を撮りに行くと、確かに地面から黒茶色の目立たない花が咲いていた。花といっても花びらはなく、よく見ないと気がつかない程だが、まるでキノコのフクロツチガキのような風情だった。花にはアリが出入りしていた。アリがウスバサイシンの花の中に入り込んでいる光景がなぜか心に残った。
●ハナオクラの花



最近まで「花の受粉の役割をするのはチョウやハチの仲間だ」と思い込んでいた。ミツバチの吸蜜のイメージが強いからだろうか。どうも受粉を助ける昆虫はチョウやハチだけではないらしいと思うようになった。
家の狭い庭に咲くハナオクラ(トロロアオイ)の花には、ミツバチはやって来ない。またハエもやって来ない。しかし少し経つと実ができてくるので不思議に思っていた。ハナオクラは花びらを軽く茹でてポン酢などで食べると、酒の肴として絶品だが、どんな昆虫が受粉させているのか疑問に思っていたのである。その花を食べるために採ると、そこには沢山のアリがオシベやメシベに取りついていた。最初はアリがついていて困ったものだと思っていたが、ある時にアリが受粉を助けているのではないかと考えるようになった。それはウスバサイシンの花に入り込んでいたアリのことを想い出したからである。
「花はふしぎ」(岩科司 講談社)には「カンアオイの仲間も、あまり目立った色を持たない花をつける。カンアオイという植物は一般的にはあまりなじみのない植物かもしれないが、テレビ時代劇の『水戸黄門』でしばしば登場する印籠はご存じだろう。あの『葵の御紋』の植物はこのカンアオイの仲間、フタバアオイである。この仲間は日本に二十種以上が自生しているが、真冬から初夏にかけて、地面の際に褐色がかった色の花をつける。決して美しい花とはいえないこれらの植物の花がどうして送粉されるのか、これまであまりよくわかっていなかったが、どうやらキノコバエというキノコをたべるハエが花粉を媒介するらしいと考えられている。」と述べられている。ハエの仲間も受粉に貢献しているらしい。
ところで徳川家の「三つ葉葵の紋」はずーっと庭先に咲いているゼニアオイの葉から創作されたと考えていた。ところがゼニアオイは江戸時代に入ってきた外来種なのである。
また葵紋は徳川家特有のものでなく、上賀茂神社、下鴨神社も葵紋で、神社の紋として昔からあったらしい。その紋の由来植物は、前述のようにカンアオイやウスバサイシンと同じ仲間のフタバアオイから造られたという。徳川の三つ葉葵は、フタバアオイの葉を三枚組み合わせてデザイン化して作り上げた創作だったのである。
そんなことを知ると、なぜかウスバサイシンやカンアオイにも親しさを感じるようになるから不思議である。
(ウマノスズクサ科 カンアオイ属)
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