カモやガン等の水禽(すいきん)類に多く見られる刷り込み学習(インプリンティング)は、とても面白い学習である。孵化して初めて見た動く物、反応してくれる物、ある視角の物を追尾する行動が見られる。その追尾行動はある一定の時間内に生じるもので、それを過ぎてしまうと追尾せずに逃避行動が見られるという。その学習が起こる時間を敏感期とか臨界期と言っている。
ガン
これらの学習は、孵化して初めて見たものに刷り込まれるように生得的に仕組まれていることと、ヒナが孵化した時に初めて見た具体的な対象物が関わりあって、学習が起こるところが面白い。しかもこの学習は不可逆的で、一度刷り込まれてしまうと改めることができない学習だと言われている。殆どの場合孵化した時点で近くに親がいて、それにすり込まれるので正常な親子関係が成立することが一般的である。この学習はコンラートローレンツによって有名になったが、彼の師であるハインロートが既に見つけていたと言われている。
マガモ
この親を追尾するつまり親に刷り込まれるというのは、果たして親子関係についてだけなのかという疑問が生じる。「醜いアヒルの子」の童話では、アヒルの中にいたハクチョウのヒナが、他から飛んできたハクチョウの群れを見て、こんなにきれいな鳥がいるのかと感心する。これまでハクチョウのヒナは、アヒルの仲間からは醜いと虐められていた。大きくなって成鳥になると、実はハクチョウだったのである。ハクチョウの群れから迎えが来て、そして群れに入って旅立っていくという話である。醜いアヒルの子であるハクチョウのヒナは、仮親のアヒルの親に刷り込まれている筈だから、その親を捨ててハクチョウの群れに入っていけるのだろうか。親子関係だけでなく、醜いアヒルの子はアヒルの仲間だとの認識も持つように刷り込まれているのではないか。簡単にいえば同一性(アイデンティティ)という種に属する認識も刷り込まれるのではないかということである。
この問題を考えるのに、性的刷り込みについての面白い実験があるので紹介してみよう。これはドイツのクラウス・インメルマンによるキンカチョウとベンガルヒワを使った実験である。キンカチョウはスズメ目カエデチョウ科キンカチョウ属の鳥で、カワラヒワはスズメ目アトリ科の鳥である。「科学朝日」に掲載されたものだが長くなるが引用してみよう。
「インメルマン教授はキンカチョウとベンガルヒワを使って、性的刷り込みを調べた。キンカチョウのひなをベンガルヒワに育てさせる。キンカチョウはふ化後四週間ほどでひとりだちするので、親から離し、独立したカゴに入れておく。ふ化後約三か月して、性的に成熟した若い成鳥になったとき、配偶者を選ばせる実験をする。三つの区画に仕切られたカゴの中央部分に、このキンカチョウの雄を入れ、その両側にキンカチョウの雌と、ベンガルヒワの雌をそれぞれ配しておく。その結果、ベンガルヒワに育てられたキンカチョウの若い雄は常に、育ての親と同じ種であるベンガルヒワの雌に胸のしま模様を誇示したり、さえずりかける求愛行動を示した。これとは逆に、ベンガルヒワの雄のひなをキンカチョウに育てさせて同じ実験をしても、やはり育ての親と同じ種の雌に求愛行動を示した。自分と異なる種の親に育てられると、育ての親の種が妻となるべき対象として“刷り込まれ„てしまうわけだ。いったん間違った種を刷り込まれた雄は、正しい種を相手にするように戻れるかどうか。そこで、ベンガルヒワに育てられ、まだ求愛行動をしていないキンカチョウの雄を、キンカチョウの雌と一緒にカゴに入れておく。選択の余地はないから、結局、この雄は雌に対して求愛行動をするようになり、巣を作り、卵が産まれる。半年とか二年たってから、このペアを引き離し、配偶者の選択実験をすると、元のもくあみ。このキンカチョウの雄は、ベンガルヒワの雌に気をひかれる。これは刷り込みの不可逆性を示している。」と述べられている。
カワラヒワ(ベンガルヒワと同じ仲間だと思う)
これらの記述からいくつかのことを学ぶことができる。その一つは水禽類だけに刷り込みが生じる訳でないことである。二つ目には刷り込みには不可逆性があり、刷り込みを修正することが不可能なことである。昔、民放でタンチョウヅルの人工飼育の番組を視たことがあった。親の何らかの事情で、人工ふ化させ人工飼育しなければならなくなって、人間が白い服を着て顔をタンチョウの親の姿に似せたマスクを被って飼育していた。雛を野生化するための方法である。それまで人間が直接育てていたが、人間に刷り込まれてしまって野生化に失敗していたからである。
こうした刷り込み学習は、人間でも生じるのだろうか。例えば生まれ落ちた乳児は、初めて見た大人に刷り込まれてしまうかというと、経験上からはそうしたことはない。「生みの親より育ての親」という諺もあるように、人間の場合には瞬間的な学習ではなく、ある時間の経過に伴って親子関係が形成されていく。そう考えると人間の場合には不可逆的といえないことになる。もともと進化論的に人間にも刷り込み学習があったのだが、ある条件が加わったために刷り込み学習を乗り越えてしまったと考えるのか、それとも人間には刷り込み学習はもともとなかったという考え方もあり得るだろう。
鳥と人間の違いは何かと考えてみると、学習能力の違いがすぐさま思いつく。その学習能力の違いによって、刷り込み学習が起こりやすいとか起こり難いがあるのだろうか。
類人猿であるチンパンジーはどうであろうか。「密林から来た養女」(キャシイ・ヘイズ 法政大学出版会)を見ると、家庭でヘイズ夫妻に育てられたヴィキィは、六歳の時に鏡の中の自分を調べ、自己認識を示したという。また「みんなで(ヤーキス類人猿)研究所を訪れた。(キャシィの)両親たちは大きなチンパンジーを興味深そうに見ていたが、ヴィキィはいつも通り、ちっとも見ようともしなかった。ついで私たちは、三歳から五歳までの若いチンパンジーを入れてある広い囲いへ行った。これらの若いチンパンジーは、育児所の赤ん坊のように臆病ではなく、私の抱いている、大きな目をしてピンクのドレスを着た小さな娘を見て、ひどく興奮した。その日は、一日じゅう神経質だったヴィキィは、いっそう私にかじりついた。若いチンパンジーの一匹が金網のすき間から手を出して、彼女にさわろうとしたときには、ヴィキィはすっかり怯えてしまった。彼女は小さな声で悲鳴をあげ出した。私にかじりついただけではまだ足りず、手を伸ばして(キャシィの)お母さんの腕まで引き寄せた。家に帰って、落ち着いてコーヒーを入れる頃まで、ヴィキィの体の震えはやまなかった。この事件は私にはわけがわからなかったし、何となく不安な気持ちにさせられた。こんなに怯えることは、どう考えても、ヴィキィらしくなかったから――」と記されている。
これらのことから、ヴィキィは自分がどんな顔つきをしているかの自己認識は持っているにも関わらず、ヤーキス類人猿研究所の同世代のチンパンジーを見た時には怯えてしまった。抱いているキャシィばかりでなくその母の腕を取ろうとしていることから、若いチンパンジーたちを同類だとの認識がないと推定できる。自分の顔や体つきがチンパンジーであるとの認識を持ちながら、チンパンジーという種への同一性(アイデンティティ)が欠落している状態になっている。こうした学習は一瞬の刷り込み学習によるものではなく、時間経過の中での学習であるが、ヴィキィは自分を人間の種であるという認識を持つように変化してしまっているということである。キャシィはこのヴィキィのこの行動を理解できないと述べている。この当時(一九四七年)は刷り込み学習などについてまだ分からなかったことが原因であろう。その後ヴィキィがチンパンジーの仲間に入っていったとは記されていないが、そうしようとしても集団に入れたかどうかは疑問である。
またチンパンジーより知能が低いと思われる中国のジャイアントパンダの野生化に対しても、人間がパンダ保育園として育ててしまった結果、野生化に失敗したと伝えられている。野生での生活の技や行動の習得に失敗したからなのか、人間の種として刷り込まれてしまったからかは分からない。しかし野生化の問題として考えると、人間に育てられてしまうと人間としての同一性を持ち、人間的な行動をしようとして、野生化に失敗しているケースもあるのではなかろうか。これらも不可逆的な側面に該当するかどうか考えてみる必要があるかもしれない。
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