アカトンボ

アカトンボは小さい頃から見ていて、翅の色や体色の違いが色々あっても、赤っぽければアカトンボと呼んでいた。黄色っぽいウスバキトンボや深紅に近いショウジョウトンボも同じアカトンボの仲間だった。ウスバキトンボは日中どこにも止まらずに道路上を回遊しながら飛翔しているし、ショウジョウトンボも見かける場所が水辺の池などに限定されている。この二種はそれぞれ存在感があって、夏の終わりから秋口に見かける木の枝や葉にすぐに止まる弱々しいアカトンボとは異なる別格のトンボで、子供の頃から一応区別していた。

 ところでアカトンボという名前のトンボはどこにもおらず、一般呼称に過ぎない。どの仲間をアカトンボと呼ぶかは決まっていないが、でもアカトンボといえば日本の原風景の一部として理解される程である。

 すぐ思い出すのは、童謡の赤とんぼ(作詞 三木露風 作曲 山田耕筰)だろう。「夕焼小焼の 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か  山の畑の 桑の実を 小籠(こかご)に摘んだは まぼろしか  十五で姐や(ねえや)は 嫁に行き お里のたよりも絶えはてた  夕焼小焼の 赤とんぼ とまっているよ 竿の先」という歌詞である。日本の夕焼けの風景とアカトンボが一体となって日本人の心にある原風景を想像させる。因みに私は後々まで「負われて」(おんぶされて)を「追われて」(おっかけられて)と勘違いしていた。どうしてそう思うようになったかの理由は分からない。

 また、滝平二郎の朝日新聞日曜版に掲載されていた切り絵にも、アカトンボとススキの情景があったような気がする。赤とんぼの童謡と連動したものに違いない。

 アカトンボといえば、大学時代に長野出身の徳田と私で「アカトンボの」の発音(イントネーション)で意見が対立したことがあった。徳田は「アカトンボ」を「夕焼小焼けの 赤とんぼ~」というように「ア」に頭高アクセントがあると主張するのに対し、私は平坦で一様な「アカトンボ」か「カ」にアクセントが入る発音が正しいと主張した。徳田が言うには「赤とんぼ」の童謡にある発音が正しいというのである。

 この「赤とんぼの発音」は色々な論争があったようで、圑伊玖磨が山田耕筰に直接確かめたら、「ア」に頭高アクセントがあるのは江戸時代からの発音通りに楽譜に載せたのだという説や、歌詞の二番の「桑の実を」は頭高アクセントで普通の日常語と同じアクセントになっているが、三番の「嫁に行き」の「嫁」は、明らかに頭高アクセントはおかしいことから、日常語の発音に従って楽譜に載せたという山田耕筰の意見はおかしいという批判的な説などが散見される。このことから「赤とんぼ」のアクセントについて、徳田の意見をそのまま真に受けることはできないことになる。日本各地の言葉のアクセントの在り方は、その土地や時代の流れで変化するものと考えれば、どれが正しく正しくないという論議は不毛なものでしかなかったと今にして思う。    (以下は アキアカネ)

(以下は ナツアカネ) 

アカトンボというトンボがいないことが分かったとして、私は昔からナツアカネ、アキアカネというアカトンボの種類があることは知っていたが、最近になってもそれらを同定することはできていない。アカトンボで最初に同定できるようになったのは、ミヤマアカネである。このトンボは山形市の高沢地区の谷川沿いの草叢に八月末に入った時に、綺麗なアカトンボを見て写真に撮った。それがミヤマアカネだったのである。四枚の翅の端でない部分に焦げ茶色の紋(帯条斑)が入っていて、その体色も赤でとても綺麗だった。多分オスではないかと思われるがトンボ類の翅の先端近くにある縁紋(えんもん)の薄い紅色と共に、日本で一番美しいトンボと言われていると、ある資料には記されていた。

 そこで、「日本のトンボ」(尾園暁 川島逸郎 二橋亮著 文一総合出版)のミヤマアカネの項には「生育環境は、平地や山地にかけての緩やかな流れや用水路、水田、大河の河川敷など。生活史は卵期間半年程度、幼虫期間二~五か月程度(一年一世代)。卵で越冬する。秋に羽化することもあり、一部は年二化している可能性がある。また成虫の期間は七月~十二月初旬までとなっている。」と記されている。この記述からは、稲作と同じ循環の生活史になっていることが分かる。

 その後四枚の翅のこげ茶色の帯条紋が、翅の端にあるアカトンボがいることを知るようになった。それはノシメトンボである。このトンボの生育環境も平地~山地にかけての池沼・湿地・水田などであり、一年一世代となってミヤマアカネと同じように稲作と関わりがある。このように、私はアカトンボの区別を翅の帯条紋で区別するようになった。但し紋があるかどうかの区別に過ぎないのであるが。

(以下は ノシメトンボ)

 (以下は コノシメトンボ)

色々な場所で撮ったアカトンボを較べてみてもナツアカネとアキアカネの区別が、やっぱりできない。胸部の黒い条の形の違いでその種を分けている。胸部の真中の黒条が途中で少し細くなっているのがアキアカネ、四角になっているのがナツアカネだという。これまでその特徴を意識して写真を撮ってきた訳でなく、アカトンボというだけで全体像を後ろからとか前から撮ってきたに過ぎないので、その区別するポイントが不鮮明にしか撮れていない。そんなこともアキアカネとナツアカネを区別できない原因となっている。トンボ図鑑を見ると、他にも同じ地域に住んでいるリスアカネ、ヒメアカネ、マユタテアカネ、マイコアカネ等のアカトンボがいる。これらを区別することは、今のところは全くのお手上げ状態である。これから少しずつ学んでいこうと考えているところである。

 ところが面白いことに、これらのアカトンボによって産卵方法が違うようなのである。ナツアカネ、ノシメトンボやリスアカネは連結しながら空中から卵をばらまく空中産卵なのに対し、ミヤマアカネ、アキアカネやコノシメトンボは泥や水面を腹端で打って打水産卵する。こんな産卵方法も見分けられるようになるとアカトンボの種類の違いを区別できるようになるかもしれない。

 ところで昔からアカトンボが夏先には山で過ごし、秋口になると山から里に下りてくると聞いたことがある。実際に夏に山に入るとアカトンボを見かけることがある。しかし夏から秋にかけての季節の数か月も生き続けることができるのか、前から不思議に思っていた。この赤とんぼの移動について「トンボの不思議」(新井裕著 どうぶつ社)には、「避暑旅行するといわれるアカトンボは、アキアカネという種類である。アキアカネは梅雨のさなかに、平地や丘陵地の田んぼや浅い水たまりで羽化する。アキアカネの羽化期はかなり短く、東京付近では六月上旬~中旬である。~中略~ その頃のアキアカネはオレンジ色をしていて、秋に見る赤いアキアカネとはだいぶ違った感じを受ける。それにすぐ山を目指して姿を消してしまうため、その存在に気がつかないのである。夏休みに高原地帯に遊びに行くと、オレンジ色をしたトンボがたくさん飛んでいることがあるが、それが山で夏を過ごしているアキアカネである。このアキアカネは秋の訪れとともに体が赤く変わり、山から里に下りて田んぼや水たまりで産卵し、命が尽きるのである。~中略~ この一五年間の勤務中に、集団移動をしたのを目撃したのは、合計一九回である。(埼玉県秩父市一九八二~一九九七年)~中略~ 私が目撃した集団移動というのは、上空を次から次へ一定の方向を目指して飛んでいくもので、視界の及ぶ範囲でざっと数えると一分間に一二〇~一三〇匹程度が移動した。これが一~二時間続くのであるから、全体では万のオーダーで移動するものと思われる。~中略~ そのうち初夏に目撃したのは四回、秋の目撃は一五回と秋の方が圧倒的に多かった。このことから、初夏の移動は個々バラバラに移動して集団化しにくいのに対し、秋は一斉に移動するのではないかと思われる。初夏の場合の移動方向は、目撃した四例中三例が東から来て西の方向へ、一例がその逆の西から東へ向かうものであった。観察地点から東は大宮市など平地方向、西は奥秩父の山岳方向である。このことから例外はあるものの、初夏には里から山に向かっているといえそうである。~中略~ 秋の集団移動は、九月上旬を中心に八月下旬から十月上旬にかけて目撃した。五回の目撃のうち、二例が初夏とは反対の西から東への移動、三例が南から北へ向かうもので、大半が奥秩父の方面の山岳地域から、平地の方向へ移動していたといえよう。~中略~ 移動中のアキアカネの飛翔速度は、ゆっくり漕いだ自転車くらいなので、時速一〇キロか一五キロであろう。一日何時間くらい移動するかは分からないが、集団移動は一~二時間継続することが多いことから、一時間以上に及ぶのではないかと思う。仮に時速一五キロで、一日に一時間半移動したとすると、一日の移動距離は二二キロとなり、五~六日あれば一二〇キロ先の目的地に到着する計算になる。アキアカネは人間が考える以上にたやすく、山と里を移動しているのかもしれない。~中略~ アキアカネの高山への移動は、暑さを避けるため、というのが定説になっていて、子供向けの絵本にもそう書いてある。暑い夏を涼しい高山で過ごし、秋になって涼しくなると山を下りてくるというのは、分かりやすい筋立てだし、人間の避暑と似ていて納得しやすい。しかし、もしそうなら、しのぎやすい冷夏の年には山へ移動しなくても良さそうなものだし、逆に残暑が厳しい猛暑の年には、山から下りてくるのが遅くなるはずである。冷夏であろうと猛暑であろうと毎年決まった時期に高山に現れ、決まった時期に里に下りてくる。さらには最近の研究によって、高山に登らず、丘陵地で夏を過ごす個体の存在も知られるようになってきた。」と記されている。

 このようにアキアカネは夏になると高山に移動して、秋になると里に下りてくる事実は認められるようである。しかしそれがどんな目的でどんな条件なのかは判明していない。他のアカトンボの種に較べて、アキアカネの祖先が進化の過程で、寒冷地や熱帯地等を含む地域を移動しなければ生存に関わるようなことがあったとすれば、こうした仕組みが組み込まれるようになったことはあり得るかもしれない。そう考えると現在の気温の高低差の程度で行動が変化する筈だというのは問題にならない可能性がある。

 また私が疑問に思っていた初夏から秋まで高山で生きていくほどの寿命があるのかについては、この本の中ではあると考えられているようである。アカトンボの寿命はどの位なのだろう。やっぱり不思議に思われて仕方がない。(トンボ目 トンボ科 アカネ属 アキアカネ)

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